明治44年(1911)、知恩院山内の華頂宮旧邸跡に華頂女学院が誕生した。知恩院顧問会による「七百年御忌記念事業トシテ旧教校跡ヲ女子大学トスルハ時期ニ適シタル好筒ノ記念ナレバ之ガ設立ヲ企画スルコト」という答申を受け、女学院の創立に尽力したのは、知恩院第79世門主である山下現有大僧正猊下であった。 総本山知恩院による法然上人700年御遠忌を記念した、「女子大学の設立」を目指す学校創立だった。
大正8年(1919)、華頂女学院の創立から8年、高等女学令による「華頂高等女学校」が開学した。
昭和7年(1932)、知恩院での法然上人降誕800年記念法要に 際して、上人の幼少期のお姿である「わたしらの勢至丸さま」の銅像建立が契機となり、幼稚園設立の機運が一気に高まった。 昭和8年の皇太子殿下(現天皇陛下)ご生誕による奉祝ムードにも後押しされ、昭和10年(1935)、華頂幼稚園が誕生した。
「華頂高等女学校」は、昭和22年(1947)に新学制への移行に伴い、新たに「華頂女子中学校」と「華頂女子高等学校」が開校された。
昭和24年(1949)、新学制下において短期大学制度が発足した。昭和28年(1953)、保育科と家政科の2科を擁する華頂短期大学が開学した。